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2013年5月8日

ボランティア活動を「無償の提供」ではなく「吸収の機会」と捉える

皆さんはボランティアと聞くとどのようなイメージを持つでしょうか?ゴミ拾いなどのクリーン活動はイメージしやすいものかもしれません。


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さて、では「ボランティア」という言葉の具体的な中身は何でしょうか?ゴミ拾いという、本来自分に義務のないことを社会のために無償でおこなう、というような感じでしょうか。

実際、ボランティアという言葉は「自発的」で「無償」で「利他的」な活動と表現されます(ウィキペディアでは「先駆性」も挙げられています)。
この中でも、特に「無償」というイメージが強いと思いますが、そもそも「無償」であることと「無価値」であるということとは全く別のものです。





たとえば、贈与という行為があります。この「贈与」という行為は民法で規定されています。

民法549条(贈与)贈与は、当事者の一方が自己の財産を無償で相手方に与える意思を表示し、相手方が受諾することによって、その効力を生ずる。

これは贈与契約の成立要件について定めた規定ですが、「当事者の一方が」というように、経済的な反対給付(利益)を受けることなく、経済的な給付をおこなうことを指しています。

このように、経済的に見たときにはボランティアをした人には直接的なメリットを認めることができません。何となくイメージしているボランティア像に当てはまりますよね。


しかし、ボランティアに参加してみると、「ああ、参加して良かったなぁ」って感じる人が多いと思います。何故でしょうか?



おそらく経済的な価値以外の価値を得ているからでしょう。たとえば、「素敵な人に出会った」「刺激を受けた」「新しいヒントを得た」「勉強になった」というようなコメントがすごく多いです。「仲間が増えた」というような感覚も抱く人は多いでしょう。


これを翻って経済的に見直すと、ボランティア自体には価値の移転が認められないわけですが、そこでの活動から新しい価値を生み出す可能性をたくさん秘めているのです。


これは、いわゆる異業種交流会などとは全く異なります。基本的には無償の行為としてボランティアに参加するため、経済人もある意味で心が裸の状態で参加することができます。そこで出会った人たちとの心の距離の近さは、ビジネスで会う場合と比べものにならないほどに密接なものになりやすいものです。言うなれば「人間的なつき合い」から始まるもの、というのが私の感想です。


こういう観点から、ボランティアに参加する人を増やして、現代人の時間の使い方をデザインしたいと考える人がいます。CollaVolというサービスを昨年スタートさせた起業家の方です。


CollaVol(コラボル)



要はボランティア募集のウェブサイトなんですが、シンプルでありながら革新的な価値を秘めた素晴らしいものだなぁと、初めて知った時に感動しました。

NPOなどの団体にとって人材不足は超がつくほどに課題なわけですが、その点を起業家の渡邉亜紀さん(@akiwatanabe_CA)は、CollaVolによってクリティカルに解決します。
また、ボランティアに参加する人たちの時間をデザインしようという点にスポットを当てている点、タスクを細分化して空間を超えた支援を可能にする点(マイクロボランティアという手法)は、とてもユニークです。


シンプルなので使いやすく、ビジュアル的にも各活動の趣旨が伝わりやすい。これまでのボランティア募集サイトとは圧倒的に異なるプラットフォームになる可能性を秘めていると思います。

この「可能性」から花を咲かせるためにも、広がりを期待をしたいところです。基本的には地域プラットフォームなので、地域内で浸透するかどうかがキーになるでしょう。「NPOのため」だけでなく、「すべての人」のためにスタートしたこのCollaVolボランティア体験を通じて新しい価値自分にも、そして社会にも生み出してみてはどうでしょうか。




ソーシャル・ボランティア・プラットフォーム -CollaVol(コラボル)


 
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