あまりこういう話題に触れることは批判を受けやすいという面があるためブログに書く必要はないとも考えましたが、一国民としては無視できない議論なので、一つエントリーを。
昨年の東日本大震災以来、エネルギー政策に関して世論は大きく二分しています。ズバリ、原発即ストップ派と段階的ストップ派の両者と言えるでしょう。後者を捉えて原発推進派とまとめてしまうのは語弊があるため、あくまでも「ただちに」止めるべきか否かの議論と分けるべきと思います。
(ちなみに私はそもそも原発の稼働に関する政策論争は、あまり意味をなさないと感じています。)
経済3団体トップが「原発ゼロ」政策に反対 「労働人口の半数超が反対」とアピール - MSN産経ニュース
米倉弘昌経団連会長、岡村正日商会頭、長谷川閑史経済同友会代表幹事は18日、東京千代田区の経団連会館で会見し、政府のエネルギー・環境会議が「2030年代の原発ゼロ」を決めたことに改めて反対し、再考を求 ...
たとえば、上で紹介した記事を読んで、「経済3団体トップは原発推進派」と捉えることは間違いだというのは誰でも理解できるでしょう。米倉会長をはじめ、原発が安全か危険かという話はしていないし、再生エネルギーへの段階的シフトを否定はしていません。彼らが主張しているのは、原発のリスクは十二分に理解しているが、さりとて感情論に支配されて経済がさらに停滞すれば日本は救いようもない事態に陥る、ということです。再生エネルギーへと転換することは反対はしないが、その過程を明確にしなければ根拠の薄弱な「2030年代原発ゼロ」には賛成できないという主張です。
昨年の震災で明らかになった原発の最も大きな問題点は、コントロール不可能なリスクです。万が一の事態に誰も対処できない、という事態が生じる点です。この点のみをもって原発停止を判断することもまた人として正しい判断だと思います。
しかしながら、国内産業はエネルギー供給量が減少し使用料金が高まれば、企業は国内で事業を継続することは難しいでしょう。必然的に企業は海外に出ていくことになります。当然、国外に一度出てしまえば、人件費の低い国はいくらでも存在するため、日本人の雇用は大量に失われます。これは国がどれだけ縛っても回避できないでしょう。産業が日本から大きく失われれば、税収もさらに減少し、社会保障も維持できず、日本は壊滅的な状態になるでしょう。そういう危険性は、原発のリスクとどちらが発生確率が高くなるでしょうか。
少し前に、こういう話を酒の席で一緒に飲んでいる人から持ち出されて、どうしようもない議論になりました。彼は原発をすぐにでも止めるべきで、その結果日本の産業がなくなっても1から出直せばいいと主張していました。原発が危ないから、という1点のみがその理由です。
何度も言いますが、決して原発が危ないからストップさせるべきという意見がおかしいというわけではありません。ただ、すぐにストップさせてしまっては1から出直すことすらできない可能性もあるし、そんなことは実際問題として不可能なのです。そんな議論は政策論ではありません。
最近は政権獲得のために簡単に原発ゼロと主張する風潮もありますが、それを政策として実現するなら、明確なロードマップをきちんと描き、派生的な効果についても十分検証しつつ現時点で最も合理的と判断できる決断をしていってほしいと思います。市場に介入することになるのですから。
ちなみに私の考えは、次のように考えます。
- 価値判断として原発は止めていかざるを得ないし、自然と減少する(ゼロにはならない可能性もある)。
- 国が強制的に止めるのであれば、他の手段による供給量(現状維持程度)と供給コストの調整をきちんとおこなう(産業空洞化の防止)。
- それは一朝一夕で実現できない。
- そうこうしているうちに、電力会社が原発リスク(賠償コスト)に耐えられないため、まずは火力発電へと積極的に切り替える。燃料の調達コストの削減が問題だが、電力自由化により早い段階で解消する。
- 結局環境問題に戻ってくる。
このように、「止める必要はあるけど、結局それは政治ではなく市場の結果として消えていく」というものです。市場原理が機能すれば、自然と原発は消えていくだろうし、むしろその後の環境問題への対処について政府は方針を示すことに注力すべきでしょう。
で、私が考えている程度のことはとっくに議論されていて、今問題なのは「具体的な筋道」なんですよね。エネルギー・環境会議ではこんな総論的な話ではなく、さらに突っ込んだ議論がされる場のはずです。専門家が集まって議論がなされているわけですが、それでも経済界からは計画が甘いという意見が出ているのです(冒頭の記事参照。)
仮にきちんとした計画を示しても、すぐに解散して撤回されてしまっては・・・というところでもあるわけですが。。。