昨年、オリンパス元社長のマイケル・ウッドフォード氏が、オリンパスの現経営陣を刷新すべく委任状争奪戦(プロキシーファイト)を行うと報道されておりましたが、国内大株主等の賛同を得られず、結局「断念」することになったようです。
朝日新聞のインタビュー記事がアップされていました。
Michael Woodford, the former president and CEO of Olympus, was interviewed by reporters from the Asahi Shimbun Thursday night in regard to his efforts to form an alternative slate of directors for an extraordinary general meeting of shareholders. “I’ve come to a conclusion,” he said, “that it would not be productive. So I won’t be proceeding, and I will withdraw.” ....(Asahi Judiciary)
氏の声明文でも述べられている通り、氏の提案は国内で必要な支持を得る見込みがなく、生産的でない争いに陥ると判断したとのこと。
オリンパスの事件は「飛ばし」という言葉を一般に知らしめる結果となり、複雑なスキームを使って財テクの穴埋めを偽装していただけでなく、経営陣において何年にもわたり(引き継がれて)隠ぺいされていたという体質が、外国から見た場合にオリンパスのみならず日本の企業風土であると見られてしまう危険があります。しかも、その点が大株主を生み出す「株式持合い制度」によって、お互いに批判をしないという馴れ合いを生じさせてしまっていると氏は指摘しています。
たしかに、海外の日本市場に向ける目はウッドフォード氏の今回の断念をきっかけに、さらに批判的なものとなるでしょう。「またか・・・」という声が聞こえてきそうです。
ウッドフォード氏のコメントでは「海外投資家vs日本」「正義vs悪」という二項対立の図式で述べられていますが、話はそう単純化できないように思います。「日本は隠ぺい体質」と、あたかも日本固有の文化であるかのように簡単に片づけられるようなものではないです。今回大株主の賛同を得られなかった理由は、氏のコメントしか拝見していないため良く分かりませんが、オリンパスという企業への信頼・期待の強さというものが非常に大きいのではないかと思います。人間関係に近い感覚かもしれないですね。
個人への信頼と、企業への信頼は同列に扱うことはできないと私は思いますが、委任状争奪戦が回避されたのはオリンパスの経営に対しては良かったのではないでしょうか。不祥事を肯定的に捉えることは全くできないですが、今回の事件をきっかけにオリンパス製品自体の信頼が落ちるわけではないですし、むしろメディアでもオリンパスの技術力を肯定的に評価し、「技術者(現場)vs経営者」の図式で前者が被害者であるという論調も多く見受けられました。
この事件が日本市場に対する海外投資家の信認をどれだけ傷つけたのかは想像するよりほかないですが、オリンパスとしての、そして日本としてのけじめをどのように付けるかが、肝心だと思います。ウッドフォード氏の正義感が引き金となって日本のコーポレートガバナンスへの徹底の風が強まったのは確かです。より良い経済社会への構築に向けて頑張りたいですね。