コーポレート・ガバナンス(企業統治)の向上を目指す国内3団体が1日付で合併した。規模を拡大して社会への発言力を高める狙い。昨年はオリンパスや大王製紙で企業不祥事が相次いだため、経営を監視する仕組みの強化を目指す。・・・(asahi.com)
平成18年に現在の旧商法から現在の会社法に大改正がなされました。その際のポイントは機関設置の大幅な自由化にありました。それまでの有限会社法と株式会社制度を融合し、一つの株式会社制度に取りまとめた結果、会社法が想定する企業規模は、比較的大きな企業から旧法で言うところの有限会社並みの規模の会社に移行されたといえます。もっとも、上場企業については、金融商品取引法(旧証券取引法)も適用され、機関設置の自由化を制限することにより信用性を向上させることで証券市場の安定性を指向してます。
企業統治のあり方については従来から議論がなされていますが、現在の大きなポイントとしては社外取締役導入の義務化への議論だと思います。会社法上は、会社の経営については取締役による取締役の相互監視義務、監査役による監査、株主による監視を基本的なコーポレート・ガバナンスの柱にしてます。
昨年5月に別のブログで企業統治のあり方について、日本経済新聞の記事を叩き台として自分の考えを書く機会がありました。その際の記事を少々長いですが、引用致します。
取締役会をはじめとする各機関に、どのような権限を付与することが企業価値の最大化に直結するか。そもそも機関設計や権限に手を加えることによって企業価値の最大化を果たすことができるか。久保克行の主張は取締役会の改革、そして委員会の設置を必須とするものです。前提として、久保氏の主張は上場企業に限ったものと思われる。有限会社制度を廃止し会社法に統一した結果、会社法が想定する機関には、旧法でいうところの有限会社的な株式会社から、上場し国際的に活躍する大企業としての株式会社まで様々な形態・規模があり、一つ枠組みの中で規定されることになった。そのため、機関のあり方を検討するに当たっては、漠然と「取締役会はかくあるべき」という議論では意味がない。久保氏の論考は意図しているか否かは別として、上場大企業を想定している。久保氏の主張は下記3点である。(1)取締役会の役割は経営者交代と報酬の決定(2)業績悪化企業で社長交代すると業績は改善(3)二つの役割が日本企業で十分に機能せず上場大企業においては、監査役会若しくは委員会を設置しなければならず(会社法328条1項)、また、両者を設置することはできない(327条4項)。委員会を設置することは監査委員を設けることになるため、監査の主体を一カ所に集中させる必要があるからです。そして、いずれの形態を選択するかにより、取締役会の権限は異なりますが、取締役会の職務は基本的には下記の通り。(1)業務執行の決定(2)取締役の職務の執行の監督(3)代表取締役の選定及び解職「決定」をする側の取締役会と、業務を「執行」する代表取締役という構図に分かれる。また、委員会設置会社では社外取締役を各委員会の過半数に設置しなければならず、監督機能を機関設計において強化しているといえる。簡単にまとめると、上場大企業においては、業務の「決定」と「執行」とその両者を「監視」するプロセスが大きく「取締役会」「代表取締役」「監査役会(監査委員会)」に振り分けられているわけです。このようにプロセスを分けることで、株主をはじめとするステークホルダーの利益が害されないと考えられているというわけである。このような現行会社法の基礎的な枠組を前提に、久保氏の主張を検討すると、私は取締役会の改革に結びつくわけではないように感じます。第1に、取締役会の役割として経営者の交代が挙げられるが、そもそも取締役の任期は2年であり、委員会設置会社においては1年である。そのたびに株主総会で判断を仰ぐ。そして、株主が取締役を不信任とすれば取締役は交代される。そうすると、重要なのは、適切な「決定」と「執行」が行われているかという点が株主に開示されているかどうかです。ここで取締役として選任された者が、代表取締役を選任するのであるから、経営者の交代について取締役会にもプレッシャーはかかっているといえるでしょう。第2に、取締役の報酬はあくまでも株主総会の決議により決められるものであり、いわゆる「お手盛り」の弊害が懸念されるため、取締役会に権限はない。この点に関する久保氏の主張は、私には意図するところが分からなかった。取締役会に報酬決定権限を与えよとは読めなかったので、氏の機関についての誤解かもしれない。もっとも、報酬に関する株主総会の議題は取締役会決議に基づいて提出されるため、久保氏が主張するように、取締役に適切なインセンティブとなるような報酬基準を策定し、株主総会に諮ることはできる。論考はこのように理解すべきなのかもしれません。第3に、監査はあくまでも法令・定款に則って行われるため、それに違反した(する可能性がある)場合にのみ問題となります。すると、第1で述べたように、取締役がどれだけ適切な「決定」「執行」を行い、利益につながったのか、という部分の判断材料が株主に伝わりにくいという部分はあるかもしれません。しかし、それは開示の在り方の問題であり、法律で規制するものではない。少なくとも、計算書類の開示や企業の情報発信によりなされるべき問題ではないかと考えます。6月には株主総会が各社で一斉に行われますが、話題のパルコ問題に関するニュースを見ていると、企業価値の向上に対する経営者のあり方というのはとても難しいものだと思います。法律の勉強をしていても、経営が合理的か、当該企業の価値がどれだけのものか、ということは全然分かりません。というか、机上の勉強では分かりっこないだろうなと思います。しかしながら、久保氏の論考において主張されているのは、企業価値の向上という面(not法律問題)を機関設計の観点(but法律問題)から検討するものといえると思います。紙面の制約から十分には意図が読みづらく、また会社法上の機関についての主張が的外れな部分もありますが、コーポレートガバナンスのプロセスが機関設計を通じて適切になされるべきなのだという主張なのであれば、その通りだと思います。
私の主張は機関設置の自由化に制限を加えることよりも、ディスクロージャー(情報開示)を徹底することで、透明性を向上する点を強調しています。それは社外取締役の選定について、結局取締役会で決定すれば馴れ合いが生じかねないわけですし、そもそも社外取締役を担える人材をどのように育成するのかが不明だからです。また、社外取締役を設置するとなれば、常勤とすればコストは大きくなります。そのため、上場企業に限った議論であるとしても、社外取締役設置で解決するよりも、現行制度の枠組みを維持しつつ、現行ルールを徹底することがまず議論されなければならないのではないかと考えました。
しかし、昨年発覚した大王製紙やオリンパスの不祥事は、そもそも情報が開示されることはなく、会社の外にいる第三者(株主含む)の監視が機能しないケースでした。日本企業は統治構造の根本に日本独自の文化があると言われたりしますが(もちろん皮肉です)、残念ながらコーポレート・ガバナンスが利益につながるという考えは、徐々に広まってはいるものの、まだまだの企業も多いでしょう。
急成長するアジアの市場で、日本が国際社会で信頼される市場になるには、情報開示を徹底するためにも、機関設置で経営の透明性を担保しなければならないのかもしれません。しかしそれは制度として信用性を担保することで、企業の資金需要を十分に賄うためになされるわけですから、結局のところ、企業の利益に結び付くわけです。今後の法改正の動きに注目です。