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2012年1月30日

著作権法務の難しさとビジネスとしての可能性

本日は、横浜の県民ホールにて行政書士会による著作権研修に参加してきました。

一般の人にとって、著作権業務を行政書士が取り扱うことのイメージってほとんどないかもしれない。いや、著作権業務というものがそもそもイメージにないでしょう。
また、知的財産権という領域の一分野であるため、特許や実用新案などと同様に弁理士の業務だと思われることも多いだろう。だが、著作権は特許や実用新案とは似て非なるものである。



著作権は、著作物を創作することにより当然に発生する権利である。特許権などのように登録しなければ発生しない権利でもなく、他方で、表現物である必要があるのでどれだけ優れたアイデアを頭に描いていても著作権は発生しない。このことからすると、個人的な感想からすれば「知的財産」という言葉が必ずしも言い得てないように思います。


さて、この著作権を行政書士がどのように業務に活かすか。この点を私は注目して研修を受けてきました。

行政書士として著作権の分野の業務をどのように進めるかを考えるに当たってまず理解しなければならないのは、実社会における著作権は複雑で動的な存在なのだということだろう。


著作権は何の手続も得ることなく発生する権利であるため、権利の発生場面において第三者がわざわざ介入する必要性はありません。

しかし無方式で発生する権利であるにも関わらず、権利の帰属や権利行使のあり方が複雑であり、一般的な財産権とは異なる領域として、簡単には理解できない構造になっている。
すなわち、一口に著作物に関する権利と言ってみたところで、その内実は一身専属性を有する著作者人格権と、財産権としての性格(=これをいわゆる「著作権」という。)の二つの異なる性格を持った権利であり、そのことが議論を錯綜させてしまう原因にもなっているのだ。


先日、自炊代行業の違法性について若干触れました。この問題は、著作物に関する権利の二つの性格をしっかりと分けて議論しなければならないにも関わらず、それがなされていないために作家の方々の意見も、一般の方々の意見もぐちゃぐちゃになってしまっているのです。少なくとも、自炊代行業の違法性については財産権としての複製権の侵害に当たるか否かが問題なのであり、ひいては著作権法30条の私的利用に該当するか(「使用する者が」の解釈問題)に絞って議論されなければならない。それは作家の「思い」のような抽象的な主観的感情の議論ではないのです。


著作権法は、著作権者の保護を図ると同時に、著作物の公正な利用を促進し、文化の発展を目指すことが目的にある。日本の著作権法は著作権者の保護にとても厚いが、ITの進化などによる時代の変化に追い付かず、著作権法の目的である文化の発展を阻害する原因にもなっているのだ。(著作権を保護すべき点は否定してません。)


著作権ビジネスは、小説や音楽、プログラムにテレビ番組や映画など、問題となる領域が非常に広く、しかも私たちの生活に密着している。私たちが何気なく触れているインターネットには著作権の問題がひしめき合っており、YouTubeはとてもセンシティブなサービスに位置づけられる。モラルによって理想的な世界はできない。適切な規制を敷き、それをユーザーが守ることでのみ文化の発展は期待できるのである。


少々抽象的になってしまったけど、行政書士はこの交通整理にイニシアティブを発揮して、文化の発展のみならず、作家や著作権者の利益を守り・増やす役割を大いに担うことができるのだと思います。

本日講義をしてくださった先生方は、著作権を専門に扱う方々のようだった。しかし、話の端々で感じる、著作権分野における行政書士の層がまだまだ薄いのだということ、かといって他の士業でも同じような状況であるために、ビジネスとしての可能性がまだまだ開拓できていないというジレンマを垣間見れた。


インターネットの普及と、それに基づく誰もが発信者になれる今の時代において、「ちょっとイイモノ」を作れる人たちのちょっとしたビジネスチャンスが沢山生まれていると私は感じています。しかし残念ながら、それが十分発揮できない社会でいることも事実。初音ミクに関する動きなんて、著作権法の観点からしたら画期的なものだと思う。


私自身の勉強も兼ねて、文章を書くときに気をつけなければならない著作権問題など、ブログを書く上でも多少役に立つようなことも今後書けたらと思います。

 
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