年齢とともに経験や知識を積み、それらに照らすことで、次第に物事の筋が見えてくるようになります。見通しがつくということです。
ただ、その筋が見えるようになってくると、今度はリスクへの恐怖感が強くなり、行動が消極化してしまうことにつながります。
あくまでも筋を見るのは、取り返しのつかないリスクにならないかどうかを見極めるためだと、割り切ってしまうことが大切じゃないかと思います。
筋を読めるようになると、一定のリスクを回避できるようになります。
子どもが「~したい」と言っても、親が「そんなことしたら~だから止めておきなさい」と言う光景はよくあります。これはお父さんやお母さんがケチなのではなく(笑)、経験や知識の差から生ずるリスクの見積もりの合理性が子どものそれに比べて大きいからです。
子どもが大丈夫と思っても、大人は大丈夫とは思わないのは、そういうところに理由があるわけです。
しかし、そもそもその見通しが果たして正しいものなのかどうかは、十分に検証されていないことが多いように思えます。結果として大人のコメントが正しかったということが多いだけで、割と無自覚的に「止めておきなさい」という話しになっていることが多いのではないかと思います(経験って普通はそういうもんですが)。
これは大人と子どもの関係だけで生まれる話しではありません。
大人が何かの判断に迷うとき、自信のなさや不安感が強いため、数ある事情の中からネガティブな事情を拾い上げてしまい、「どうせ~だから」との理由で何もしないということにはありがちです。少し視点をずらして見れば物事ががらりと変わって見えるのに、です。
先の親と子どもの例では、大人が子どもを守る立場として後見的な判断をするのに対して、自分自身の問題については、「傷つきたくない」とか「面倒くさい」という現在の自分を守りたいというメンタルが先にあって判断してしまってます。
もちろん、それでも経験や知識からその考えにはそれなりの合理性が認められるでしょう。しかし当然ですが、その結果何もできなくなってしまうという事態が生じてしまいます。
頭でっかちの人が社会に出て期待された成果をなかなか出せない場合が多いと言われる背景には、往々にしてミスへの消極的な感情や、リスクの「見積もり」の合理性が無駄に高過ぎて、その周辺に存在するチャンスを根こそぎ失ってしまっていることが挙げられるのではないかと個人的に考えています。
そのせいで、さらに結果に焦り、ミスに対して警戒心がより強くなってしまい、行動に移す段階でさらにネガティブ要素を探し出してしまう。良くないスパイラルができあがってしまうんじゃないかと思うのです。
当たり前ですが、予めチャンスがハッキリと見えているケースは多くありません。
むしろ、予想もしていないパターンでチャンスをつかんだり、300人に1人くらいしか興味を持たないようなところに大きなチャンスが眠っていたりします。
そのため、ある行動の合理性を検証するとき、その行動から生じるリスクが定量的に見積もることができるのであれば、よほど大きなリスクを背負わない限りはひとまず行動するという考えの方が、結果的に成功確率が高まるような気がします。
お気づきの人もいるかもしれませんが、実はこれ、私自身に対して書いています。
私が取り扱う仕事は、一人でこなせる量に限りがあり、常時5~10件ほど抱えていれば、分量としては十分過ぎる量になります。
今後事務所を拡大することや、家族を養うことを考えると、その程度の仕事量ではまだまだ足りないわけですが、だからといって何十件も一人でこなせるわけではありません。
ということは、営業の観点で考えても、毎月せいぜい300人程度にアプローチをかけて、そのうち4~5件くらいを新規で開拓できれば十分なのです。そしてその程度で良いのだと考えると、ダラダラと考え過ぎることはコスト的にも、仕事を獲得するという意味でも生産的ではないし、身動きがどんどん取れなくなってしまいます。さっさと動いて一人でも多く人のニーズを掘り起こした方が良い。
アクションを起こすことは何につけてもリスクが伴います。
ブログを書けば全く違う考えの人にバッシングされるかもしれないですし、人と付き合えば関係者と衝突する可能性も生まれます。営業をかければ相手方から無碍にされるかもしれません。場合によっては同業者からイヤな顔をされることもあるでしょう。
そういうリスクは誰もが現実化してほしくないと考えるものです。
だからこそ、やらない理由を考えてしまうわけです。
表現として適切かどうかは分かりませんが、「とはいえ、そんなこと考えてても仕方ないでしょ!」くらいの精神的なタフさは持たないといけないように思います。筋ばかり見ててもダメですね。
・・・分かりましたか?
はい m(_ _)mペコリ