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2012年4月8日

「シェア」と「共有」の概念は全く別モノ

シェアは新しくて古い概念なのだと思う。

― これからは「シェア」の時代だ、と言われることが増えましたが、正直なところ、違和感を覚える人は多いのではないでしょうか。

「シェア」という言葉は多義的で、分かっているようで分かってない、そんな言葉ではないかと思うんです。




カーシェアリング、ルームシェア、ほかにもワークシェアリングとかコワーキング・スペースなんて言葉も最近流行ってます。背景には、経済低迷に基づく賃金の低下など、可処分所得が低下する中で少しでもこれまでの消費能力を低下しないためにアイデアをひねり出す、そんなハックが注目されていることに求められるように思います。

これらの言葉は何となく目・耳にしていますが、何でもかんでも「共有」すれば単独所有(遂行)するよりも低コストで効率的に消費することが可能でありECOでQOLにも資する、と簡単には言えないように思います。そもそも「共有」するのがイヤなものもたくさんあるし(歯ブラシとかw)、ルームシェアも「シェア」相手を間違えるととんでもないことになります。つまり、「共有」の時代だとは簡単には言えないわけです。


さて、ここまであえて「シェア」と「共有」という言葉を「」付きで書きましたが、この両者は同じ言葉でしょうか。


実は私自身この二つの言葉をほぼ同一の意味合いで考えてきたきらいがあります。
そのせいで、「シェア」という概念をまるで新しい価値観のように考え、私自身の価値観と照らしあわせて理解に苦しんでいたところがあります。

そこで、何故理解に苦しむ自分がいるのかを考え直すために、考えてみることにしました。


そもそもシェア(share)という言葉はなどのような意味を有するのか。ロングマンの英英辞典を読むとこう記載されています。

1 use together
to have or use something with other people
2 let somebody use something
to let someone have or use something that belongs to you
3 divide
to divide something between two or more people
4 responsibility / blame
to have equal responsibility for doing something,paying for something etc
5 same
to have the same opinion,quality,or experience as someone else
6 tell somebody something
to tell other people about an idea,secret,problem etc:

おそらく私たちが一般的に使用する「シェア」という言葉は、「use togther」や「divide」という意味で用いているケースが多いのではないでしょうか。カーシェアリングやルームシェアリングというのは、一緒に使用するという形式だと思いますし、料理をシェアすると言うときには取り分けるというdivideの意味が用いられているように思います。


これらは「共有」という意味でおおよそ正しいように思いますが、この意味以外にも「シェア」には意味があります。


特に、2番の「let somebody use something」は注目できます。


to let someone have or use something that belongs to you とあるように、もともと自分に属するモノや"何か”を他者に提供するという意味と説明されています。


つまり、そこでは分け与えるというニュアンスが強まり、逆に「共有」のイメージは後退するように思えます。


具体的に考えてみます。


たとえば、私が車で自宅から駅前の銀行に行く予定があるとします。そのとき、移動時間が発生するわけですが、私にとってこの移動時間は動かしがたく発生するものです。銀行に行くためにはどうしても生じてしまう時間というわけです。しかも車の燃料も消費します。
そこで、どうせ同じ時間やコストを生じさせるくらいなら誰かの役にも立ちたい、と思うことは自然でしょう。自宅を出るときに家族に「駅前まで行くけど何か用があるなら一緒に乗ってく?」と訪ねる姿はよくある光景のように思います。ここでは私の消化する時間やコストは、誰かを乗せる前後でほとんど変わりませんが、一緒に乗っていく家族の燃料コストは節約になります。ただ、それは効用として「シェア」がなされているというよりも、いわゆる「善意」というものに基づいているように思います(家族だから、という以上に。)。


このような例が適切かどうかは分かりませんが、流行の「シェア」がどのような文脈で使われているか、それはビジネスライクな「共有」としてなのか、それとももっとエコやQOLで語られるところのエモーショナルな「シェア」なのか、と少し意識を傾けてみると良いかもしれません。(ECOもかなりマジックワードですが。)


漠然と「シェア」の時代だと言われていることの本質が「共有」なのか、それとも上で述べた意味のものなのか。私は後者の意味をもっと強く意識すべきだと思います。そしてそれは、隣近所での醤油の貸し借りや、車の修理、場合によってはお年寄りの階段での荷物持ちなど、実は日本でも昔から存在するカタチなのではないかと思います。


「絆」という言葉が昨年から再認識されていますが、このような文脈で考えてみたときに「シェア」が私たちが改めて向かうべき(ある意味では戻るべき)方向性を示しているように思います。


以上は私自身の勝手な印象です。正しいかどうかは別として、このように捉えてみると「シェア」という概念が捉えなおされている今の流れというものが、私の中では腑に落ちる気がします。
 
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